火葬場。
2005年 09月 07日
おじさんの亡骸と一緒に火葬場に行きました。
1時間半で終わるのでそれまで別室に通されてそこで待ちました。
1時間半後おじさんは骨だけになっていました。
私は始めてなのでもしかしたら見ることが出来ないかもしれないと、母に話をしていましたが、お骨を拾ってあげる事が供養になるということとお骨がバラバラで出て来たので、なんとか拾ってあげる事が出来ました。
お骨は小さい陶器に入れられました。
体が大きかったので担当の方が崩しながら残りのお骨を入れて下さいました。
おじさんが苦しんでいた癌も全て燃やされ、骨だけが残り、これでおじさんも楽になれたのではないかと私は感じていました。
父は「肉体がある時はまだ感情もあり、涙も出てくるけど、ああやって骨だけになるとようやく諦めが付く。」と言っていました。
確かにそうかもしれない。顔を見ているといろいろ思い出されて涙が止まらなくなるけれど、骨だけになると、人ってこんな風に最後はなってしまうんだと客観的に見ることが出来るのだろうと思います。
病気は怖いなとつくづく感じました。「手遅れ」という言葉がこれ程つらい言葉だとおもいませんでした。おじさんも悔やまれた事と思います。ただ父が言うには本当に癌が発見された時は手の施し様が無かったので、よくある抗がん剤の副作用等に苦しむ事はそんなに無かったのではないかと言っていました。それがまだ救いだったよと・・・。
カレーのおじさんは55歳でした。まだまだ今の時代では若い人です。
ここから30年は生きてもおかしくない訳です。
私はカレーのおじさんを忘れずにいようと思いました。
1時間半で終わるのでそれまで別室に通されてそこで待ちました。
1時間半後おじさんは骨だけになっていました。
私は始めてなのでもしかしたら見ることが出来ないかもしれないと、母に話をしていましたが、お骨を拾ってあげる事が供養になるということとお骨がバラバラで出て来たので、なんとか拾ってあげる事が出来ました。
お骨は小さい陶器に入れられました。
体が大きかったので担当の方が崩しながら残りのお骨を入れて下さいました。
おじさんが苦しんでいた癌も全て燃やされ、骨だけが残り、これでおじさんも楽になれたのではないかと私は感じていました。
父は「肉体がある時はまだ感情もあり、涙も出てくるけど、ああやって骨だけになるとようやく諦めが付く。」と言っていました。
確かにそうかもしれない。顔を見ているといろいろ思い出されて涙が止まらなくなるけれど、骨だけになると、人ってこんな風に最後はなってしまうんだと客観的に見ることが出来るのだろうと思います。
病気は怖いなとつくづく感じました。「手遅れ」という言葉がこれ程つらい言葉だとおもいませんでした。おじさんも悔やまれた事と思います。ただ父が言うには本当に癌が発見された時は手の施し様が無かったので、よくある抗がん剤の副作用等に苦しむ事はそんなに無かったのではないかと言っていました。それがまだ救いだったよと・・・。
カレーのおじさんは55歳でした。まだまだ今の時代では若い人です。
ここから30年は生きてもおかしくない訳です。
私はカレーのおじさんを忘れずにいようと思いました。
by SHEEP-SLOW-LIFE
| 2005-09-07 14:24
| ★日記★